京都府内の学校所在資料展が9月19日(土)から京都文化博物館にて開催されました。
以下同館のパンフレットより展示会の様子をご紹介します。
 洛北高校校内にある京一中洛北高校同窓会資料室からも今回の資料展に対して、所蔵
 ている数々の資料を提供いたしました。
  ――「京一中」「府一」「京二中」のたからもの―― 

 日 時 令和2年9月19日(土)~12月6日(日)
 場 所 京都文化博物館 2階総合展示室(京都市中京区三条高倉上ル)
 主 催 京都府。京都文化博物館
 協 力 京一中洛北高校同窓会.京都府立鴨沂高等学校.京都府立鳥羽高等学校
 後 援 京都府教育委員会

  学校所在資料には豊かな価値があります。しかし統廃合をはじめ様々な要因によって、資料が消失・散逸
 の危機に瀕している場合も少なくありません。そこで当館では、京都府内の学校に所在する貴重な品々の紹
 介を学校教員や生徒、地域組織のみなさまと協力しておこなってまいりました。
 今年度は、日本で最初の(旧制)中学校である京都府中学(現・京都府立洛北高等学校)の開校から15
 0年、京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)の開校から120年、公立女学校の草分けたる新
 英学校及女紅場(現・京都府立鴨沂高等高校)が荒神口に校地を移して120年と、京都府の旧制中等学校
 教育の代表的存在がいずれも記念の年を迎えます。そこで、本展覧会では各校所在の品々に着目するととも
 に、現在のそれぞれの学校における特色ある資料活用の様子をご紹介いたします。(同館のパンフレットより)

「京一中」現・京都府立洛北高等学校
  日本初の中学校として、明治3年(1870)に京都府中学の名で開校し、複数回の改称を経て、さらに
 京都府第一中学校(明治32年(1899)、京都府立第一中学校(明治34年(1901))、京都府立
 京都第一中学校(大正7年(1918)と改称する。これが「京一中」という呼称の由来となる。戦後の昭
 和23年(1948)に京都府立洛北高等学校となるが、同年10月の再編成で京都府立鴨沂高等学校に吸
 収される。しかし2年後の昭和25年(1950)に京都府立洛北高等学校として復元し、新たな歩みを始
 める。

  この複雑な歴史の中で、同校に蓄積されてきた資料も様々な変遷をたどるが、現在「京1中」関連資料は、

 京一中洛北高校同窓会が収集・整理を続けており、詳細な資料データベースもつくりあげている。これらを
 活用して学校の歴史に関するレファレンスサービスなどを同窓会が担っている。

「府一」現・京都府立鴨沂高等高校
  明治5年(1872)に新英学校及女紅場として設立。公立女学校の草分けとなる。明治33年(1900)
 に現校地に移転し、同37年(1904)に京都府立第一高等女学校、大正12年(1923)に京都府立
 京都第一女学校と改称し、「府一」という呼称由来となる。昭和23年(1948)に京都府立鴨沂高等学
 校となる。
  同校では、学校教員と生徒が様々な資料活用の活動をおこなっている。ごく近年、図書室架蔵の6万冊と
 いう図書のうち、主に江戸時代の書物に押された蔵書印を丹念に調べ、幕末。維新の史実について興味深い
 知見を得た。

「京二中」現・京都府立鳥羽高等学校
  明治33年(1900)に京都府第二中学校として創立。明治34年(1901)に京都府立第二中学校、
 大正7年(1918)京都府立京都第二中学校と改称。昭和23年(1948)に京都府立洛南高等学校に
 改組の後、廃止。昭和59年(1984)に京都府立鳥羽高等学校として開校。
 同校では、創立以来実に31年にわたって校長を務めた中山再次郎の肖像画や全国優勝野球大会第1回優勝
 記念旗等を所蔵し、現在はそれらを応接室や図書館(京二中コーナー)などで展示活用している。

  旧制の中等教育はおおよそ現在の中学校・高等学校にあたる。日本の学校制度は、全国的な今日いつ制度
 の創立をはかった学制発布以降、改変がおこなわれ続けてきた。図1は京二中創立のきっかけともなった改
 正中学校令発布後、図2は現行の学校制度に近い戦後の学校系統図で、いくつもの違いがみてとれる。また
 旧制の中等教育と現在との違いとして、男女別学であったこと、義務教育ではなかったことが特徴的である。

 出展:文部省1981『学制百年史資料編』株式会社帝国地方行政学会の第4図・第9図